お正月飾

なぜ羽子板、破魔弓を飾るのか?

羽子板の「歴史」

室町時代に硬貨をつけ錘(おもり)とした羽根を蹴る遊びがあり、これが羽根つきの起源とされています。宮中のことを記録した「看聞御日記」に羽根つきの記録があります。この記録には公卿や女官が羽根つきをし、負けた組が酒を振る舞ったとの記録があります。戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈ったとのことです。今も女児の初正月に羽子板を贈る習慣が残っています。

羽子板で突く羽根の玉、あの黒くて硬い玉は「むくろじ」という大木の種です。この「むくろじ」は、漢字で「無患子」と書きます。「子が患わ無い」という意味です。これは、赤ちゃんの無病息災の願いを意味しています。また、羽子板の羽根がトンボに似ていることから「蚊を食べるトンボ」…つまり蚊は羽根を恐れるため、ひいては子が蚊に刺されないようにという同じような無病息災の意味も持っています。

江戸時代以降、羽子板に描かれた絵で縁起をかつぐようになりました。それがどんどんグレードアップし、押絵を応用した「押絵羽子板」が登場。美人を描いた「見立て物」や「浮世絵風」、また人気歌舞伎役者を描いた「役者物」が大流行していったのです。

羽子板の「種類」

  • 願いが叶う「浅妻」

    浅妻は、月夜の海に浮かぶ舟の上で、美しい白拍子姿で舞います。扇子を持ち、優雅に鼓を打ちながら唄い、愛を語ります。将来の厄を払い、願いがかないますようにという想いが込められています。

  • 末広がり「道成寺」

    能の世界でも有名な道成寺。満開の桜の下、白拍子の花子が、扇子を持って舞う姿は可憐で気品にあふれています。道成寺には、幸せが広がりますようにという願いがかけられているといわれています。

  • 良縁を願う「藤娘」

    日本舞踊や歌舞伎の演目として、とっても有名な藤娘。咲き誇る藤の花の下、花の妖精のように美しい藤娘が、黒い笠に藤の小枝をかざしながら恋心を踊ります。可憐な乙女の象徴的存在です。

  • 幸せを汲む「汐汲」

    歌舞伎、日本舞踊で知られる汐汲です。彼女がしっとりと舞うのは恋人を慕う乙女心。手にしている桶は、海の水を汲むものです。海のように広大な幸せを汲めますように、と願いをかけています。

破魔弓の「歴史」

元は魔や厄災を払い除くという神事用の弓です。弓矢は元々武器の一つでしたが、その威力から邪気をはらい悪魔を恐れさせるという特別な力が備わっていると考えられていました。その為、公式な神事や棟上の式等のお払いの行事にも使われていました。弓矢自体に目には見えない精霊を退散させる力が有るという意味があり、人間には知ることのできない方向と距離を判定する占いの道具として使われていたのです。神社等では平安時代頃から魔除けの意味での破魔弓神事や、年占い神事が行われていました。「はま」は弓矢で射る的、もしくは的射の競技を意味する語で、後に「破魔」の字を当てて、魔を射る矢と解されるようになりました。

平安時代の中頃から現在でも、朝廷では皇子が誕生すると「鳴弦」といって弓の弦を鳴らし、悪魔を払う儀式が行われています。秋篠宮ご夫妻のご長男、悠仁(ひさひと)親王殿下のお生まれの時にも、「鳴弦の儀」は執り行われました。民間では、男の子の初正月に弓を入れる用具「空穂(うつぼ)」と弓矢を組み合わせた破魔弓を飾って祝っていたようです。現在の形になってきたのは鎌倉時代以降と言われ、破魔弓を飾って悪魔を追い払い、家内安全を祈るようになりました。初正月に男の子をお祝する習慣は各地にあり、男児の玩具弓矢と結びつき、男の子の健やかな成長を祈る飾りになっていったようです。

破魔弓の「種類」

破魔矢の矢羽根には、様々な鳥の羽根が使われています。白鷹は、タカ目の鳥のうちの小中型の一群の総称。主に使われる羽根の白い部分には、暗褐色がまじり気品があります。ハチクマは暗褐色に灰色と白がまざり、白鷹とともに最高級品のひとつです。その他、金鶏や雉など、多彩な矢羽根があります。

左から、白鷹・水鳥(染)・水鳥・銀鶏

贈答のしきたり

一般的には、赤ちゃんの祖父母が贈ることが多いようです。贈られる時期は、初正月を迎える前、年末が好ましいでしょう。羽子板も破魔弓もその子のお守りですから、次男、次女が生まれても一人ひとりに贈り、一緒に飾ってあげましょう。

飾る時期

一般的には、12月になったら飾り付けをします。また、桃の節句、端午の節句にも一緒に飾って頂くと良いでしょう。その他、毎年のお誕生日や七五三、小学校への入学や、成人式など機会があるごとに飾ってお祝いしましょう。

お近くの店舗を探す/長野市・佐久市・松本市・飯田市・諏訪市・甲府

ページの先頭へ